昨日の追記

珍しく午前中に書いてみます。


昨日帰りの電車に乗りながら書いた記事、タイトルに「強さ」とか入れてたのにほとんど執着の話ばっかりになってしまったと、帰宅後に思ったのでまず昨日の追記を軽くしてみます。


昨日の執着の話から、覚悟も無しに持っている執着は弱点になったり視野をせばめたりという話、そして執着するものが何も無いのは寂しく虚ろな人生になる可能性があるという話をしました。


そこに「強さ」の話を少し絡めてみたいと思います。


漫画やゲームの世界でもよく語られる「強さ」、あればあるほどいいとされる「強さ」これは現実ではどのような感じなのでしょうか。これに関する私の所感です。


まず私は強さには色々な種類があると思ってます。大別すると肉体的な強さと精神的な強さというようになると思ってます。今回は執着との絡みなので精神的な強さ中心で話してみます。


極端な話、ものすごく執着心が強い人のものすごく執着心に乏しい人、どちらが精神的に強いでしょうか?


言葉を濁すようであまり好きではないのですが、これはどちらとも言えないと思います。


精神的な強さには種類があるというのが持論です。例えば先程の例に関して、前者はその執着するモノやコト、人が自らを支えているという強さがあると思います。しかしその支えを脅かす他者やモノ、状況などは多く存在することが考えられ、それらに怯えたり、それらと戦う中で脆くなってしまいます。


一方先程の例の後者は、その他の何かに執着する人を全て一笑に付すことができるでしょう。「何をそんなに必死にやってるんだ」と思うことができます。他の人が焦ったり、悩んだりする中で何にも知らない顔ができると思います。これは強いということが出来ると思います。先程の場合の強さとはまた違う強さでしょう。しかしこのような人の場合自分以外の支えがありません。何なら自分ですら支えになってないかもしれません。そのようなフラフラな存在は、傍から見れば強いと言うにはあまりにみすぼらしく見えると思います。


このように、執着の強さが弱さと強さを様々な位相で生み出してくれるのだと思います。このようなことを頭に入れて日々行動したり、考えたりすることで、そうしないよりクヨクヨせずに生きれるような気がします。


これが機能しそびれた執着と強さのお話でした。徹夜明けなので文章雑かもしれません。


一旦この追記はここまでで。


おしまい